toggle
2017-02-10

「ナマケモノに意義がある」を読んだ感想

Tweet about this on TwitterShare on FacebookShare on LinkedInShare on Google+Email this to someone

ナマケモノに意義がある (角川oneテーマ21)を読んだ。

怠けのススメ

狩猟採集民であったとき、人間は互いの民族に壊滅的な打撃を与えるような戦争はしなかっただろう。(中略)肉を食べるなら動物を獲ったほうが安全で効率的だし、必要最低限の食糧のためにしか働かない彼らに余剰の労働力はまったく要らなかったはずだ。つまり、農耕をはじめたことで人間は長期労働を行うようになり、さまざまな余剰すなわち富を生み出したのだ。その副産物が権力であり、奴隷であり、戦争なのである。

農耕を発明して人口を増やしてきた人類は元の狩猟採集生活には戻れないが、労働は美徳であるという話は農耕をはじめた人類がつくりだしたイデオロギーなんだと思えば、もう少し割り切った軽い気持ちで働けるだろうと池田先生は言っている。

世間は働くことに生きがいを見出せ、喜びを見出せと煽るが、あまり真にうけないほうがよい。働くことに生きがいも喜びも発見できない人は努力が足りないか、能力が足りない欠陥人間だという言説は単なるフィクションなのだ。ひどい話である。「仕事を通して自己実現する」はすべての人に当てはまる命題ではない。

私はこのことに気がつくのにだいぶ時間がかかってしまった。

世の中にはそうしたプレッシャーをかける情報や人が溢れているので、そういったものとの距離の取り方が大事だ。

よくよく注意して見ると、結局はそのプレッシャーを利用して不安を煽って商売にしている人もたくさんいるしね。

本当は働かないほうが偉いのだ。労働が嫌い、怠けることが好きというのは動物にとってごく当然のことだ。いまの社会システムを維持するためには不都合だから、非難の対象になっているだけのことだ。そもそも社会システム自体にたくさんの問題があるのに、そこを抜かして働くことは偉いと単純に考えているのは間違いだと思う。

 

自分が仕事をしていた頃(特に20代)を思い返すと、なぜかピラミッドで重たい石を運んでいる奴隷の絵が浮かぶ。

人間の生得的な性質としては、1日に2,3時間働いて後は怠けるというほうが自然なのだ。

たまたま今の日本のシステムでは1日7~8時間労働のところが多いだけで、1万年前に始まった農耕時代から考えると、まだ変化途中の人間にとってそのような労働時間は完全には適応していないのかもしれない。

それを無理して合わせようとするから現代人は体や心を壊してしまうんではなかろうか?

(すべての労働者が毎日忙しいとも限らないけど。)

怠けることが経済的に許され、かつ他人の迷惑になるのでなければ、いくら怠けたっていいと思う。遊んでいるだけで一生暮らしていける人がいるなら、それもまたけっこうなことだろう。「自分のアイデンティティを他人から認めてもらえるのは仕事を通してだけだ」なんてことを言う人もいるが、必ずしもそうではないと思う。

自分のアイデンティティは、自分で認めて生きていければ十分。

私はたとえ家族であっても、認めてもらえなければ仕方ないと思っている。

未来のことを考えるのが不幸なのは、未来が予測不可能ゆえに大きな不安をもたらすからである。では、未来がすべて予測可能であれば、不幸な気分は消え去るだろうか。残念ながらもし未来のことがことごとくわかってしまうのなら、それ以上不幸な人生はあるまい。

脳科学者の中野信子さんによると、不安や緊張はセロトニンが大きく影響しているそうだ。

遺伝子の組み合わせで、不安を感じやすい人、楽観的な人、どちらも持ち合わせたミックスの人(不安の程度は中程度)がいて、どちらのタイプも生き残っているということは、どちらのタイプも環境に適応して生きてきたんではないかと言っている。

そして世界の人と比べると、日本人は不安を感じやすい人が際立って多いんだそう。

どっちがいいか。それはどっちともいいんです。どちらにもそれぞれに、違った環境で生き延びる力がある。そして、各国の環境圧力に適応した結果がこれです。つまり、単純にどちらの性質の方がすぐれているということはできないんです。

日本人は生まれつき悲観的? 中野信子氏が解説する“不安”の脳科学

どのタイプにもメリット・デメリットがある。

不安を感じやすいタイプの人は、将来の不安に備えて準備をして備えるので、災害とか不測の事態にも強い。

その一方、不公平感を感じやすいというデメリットもあったりする。

(「私だけ損してない?」「真面目にやっているのに、私だけ損している」ということを思ってしまいやすい。)

楽観的なタイプの人は、不安を感じにくい・緊張しにくいといったメリットがある一方、楽観的過ぎて津波が今そこまで迫っているのに、「俺だけは助かるかもしれない」と言って逃げ遅れてしまったりすることも考えられると。

どのタイプも自分のデメリットを把握して気をつければよいだけのことだ。

仕事をしていた頃の私はもろに不安を感じやすいタイプだったが、今はそういった煽りを上手にスルーしてカモにされないように生きていくことが大事だと思っている。

何が良いかは人それぞれ違うんで、自分の頭で考えて判断することが一番大事だ。

 

成長期に限らず、大人になってからも脳は変化するのだ。つまり、「こういうことをやってみたいな」と思うことは、いまそれをすればあなたの脳がもっとも喜ぶ「旬」のものなのである。(中略)楽しみを先送りばかりしていると、その人は最後まで人生の元を取れずに死んでしまうことになる。(中略)未完成品をつくり続けるように、中途半端に生きて、中途半端に死ぬ。人生はそれでいいのだと思う。

「中途半端に生きて、死ぬ。」って、いいな。

今の世の中は生きることに意義や意味を求めすぎている気がする。

そしてそれに振り回されて疲れている人が多いのではなかろうか?

自分の人生なので、人や世の中のフィルターを通して生きるんではなく、自分の頭で考えて生きたいものだ。




Tweet about this on TwitterShare on FacebookShare on LinkedInShare on Google+Email this to someone
関連記事