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2017-02-11

「死ぬ」から人生楽しい

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今回もナマケモノに意義がある (角川oneテーマ21)ついて書いてみる。

死と引き換えに生の楽しみはある

 人間をはじめとする多細胞生物は死ぬことと引き換えに個体というシステムを獲得したと言える。すなわち、多細胞生物がもつ多様な形態や行動パターンは死という代償と引き換えに手に入れたものなのだ。(中略)人間はすべて死があるからこそ、個体として生を楽しむ権利を得たのである。

生きることと死ぬことはセットだ。

人間の草食化はマクロに見てどのような意味をもつのだろう。(中略)昔に比べて人類は増えすぎた。現在人類のホモ・サピエンスが誕生した16万年前は全世界の人口はせいぜい数十万人くらいしかいなかったと思われる。それが1万年前には数百万人、紀元前後には2億人、産業革命によって人口増加のペースがぐんと速くなった19世紀末には16億人、人口爆発の世紀と言われる20世紀半ばには25億人、そしていま現在70億人を超えてしまった。これはちょっと異常な増え方である。(中略)70億人もの人がいるということは、食糧資源やエネルギー資源の観点から言うとけっこう危機的な状況と言ってもいいだろう。特定の種の個体数が爆発的に増えれば、資源を食い潰して滅んでしまう可能性は高くなる。そういう意味で人口の爆発的な増加はいい兆候ではないのだ。加えて野生の性質を失ってしまった人間は、生物としては脆弱きわまりない存在である。

少子高齢化で日本は危ないとよく言われるけど、それは日本の社会保障制度の仕組みがおかしいだけで、そのおかしさの矛先を少子化のせいにするのは間違っている。

少子化やミニマリストや断捨離が流行るというのは、生き物として人間がこの先生き延びるための本能的なものなのではないかと思う。

資源には限界がある。

人口が増えれば良いってものでもないと遺伝子が警告しているのではないだろうか?

子供を産みたいという人の価値観を否定する気は毛頭ないけど、たまにいる「女性は子孫を残すべき」といったようなコメントをする人には視野の狭さを感じる。

(その価値観を持つのは個人の自由だけど、他人に押し付けるのはどうかと思う。)

若い世代の人たちは時代に合わせて合理的に賢く生きていると私は思う。

そんなことを考えると、私は人類はこの先1万年くらいで滅びる可能性があるのではないかと思っている。寄生虫学者の藤田紘一郎にいったては「早くてあと100年、どんなに長くても1000年のうちに人類は絶滅する」と予言している。

1000年とか1万年先というと想像できないけど、100年先って言われると危機感を感じる。

(かと言って何もできないけど。)




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