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2017-10-12

星野源「蘇える変態」を読んで思うこと

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読みたくて平積みしていた星野源の蘇える変態をついに読み終えた。

そして生活はつづくもおもしろかったが、この本もかなり良かった。

この本はブレイク前の2011年から2013年にファッション誌「GINZA」に連載されていたエッセイだが、読みながら、「これからきますよ、彼。ブレイクしますよ、彼。」感が伝わってくるようなおもしろさだった。

(ま、今ならなんとでも言えるけど。)

私はこのエッセイが書かれていた頃に発売された「夢の外へ」という曲で星野源に興味を持ったが、この本で星野源は、「この曲が自分の人生を変える作品になるだろうという感覚がある」と書いていた。

今や飛ぶ鳥を落とす勢いの彼だが、その前にはちゃんと下積み(バイトをしながらオーディションを受けたり)をして、もがきながら小さく積み重ねてきた苦しみがあった。

昔から何度も「やること一つに絞りなよ」と助言をもらい続けて来たけれど、いろいろやりたいのだからしょうがないとここまできた。絞らなくて本当によかった。継続は力なり。人の助言を無視することもまた、ある意味力なり。

いい言葉だな。

心が揺れることもたくさんあったと思うが、「やりたいことを絞らなくて本当によかったね」と、親戚のお姉さんのような気持ちで読んだ。

この本にはくも膜下出血で倒れた時のことや休養中のことも書かれている。

(彼は本当に働いて働いて働いて働きまくっているので、そりゃ倒れますわ。)

それまでに抱いていた希望ややる気、もともと強い人間ではないが、何度も苦境を乗り越えることで生まれたなけなしの忍耐力や誇りは、そこで、そのたった三日間で、すべてなくなった。キレイにゼロになった。今すぐにでもベッドの頭上にある窓から飛び降りたい。早く死んでしまいたい。こんな拷問のような痛みはもうたくさんだ。

大変な手術の後、彼は想像を絶するような痛みに襲われる。

体が生きようとしている。前からそうじゃないかと思っていたが、やっぱり当たっていた。死ぬことよりも、生きようとすることの方が圧倒的に苦しいんだ。生きるということ自体が、苦境と苦悩にまみれたけもの道を、強制的に歩く行為なのだ。だから死は、一生懸命に生きた人に与えられるご褒美なんじゃないか。そのタイミングは他人に決められるべきではない。自分で決めるべきだ。

私の父は自殺(心の病気)だったが、死んだとわかったとき、「ようやく父は生きることの苦しみから解放された 」と思った。

悲しいとか寂しいとか思うよりも先に、「生きることの苦しみが終わってよかった」と思った。

生きている時の父は、生きることがとにかく辛そうだった。

もちろん自殺はいけない。

そんなの当たり前だ。

父が死んだ後の母と私には地獄の苦しみが待っていたが、それでも「父が苦しみから解放された」ということだけが、唯一の救いだった。

だから、地獄や天国があるかわからないけど、今は穏やかな気持ちでいれるところにいてほしいと思う。

「一部の人だけ聴いてくれればいい」なんてツマラナイことは死んでも言わん。「どんな方法でもいいから売れたい」なんて恥ずかしいことは死んでも思わん。自分が面白いと思ったことを満足いくまで探りながら、できるだけたくさんの人に聴いてもらえるように努力する。それが我が地獄における、真っ当な生きる道だ。生きるとは、自分の限界を超え続けることであり、生きるとは、死ぬまで諦めないことである。

あの時、死の淵から蘇ったから、こんな名曲が聴ける。

ありがとう、星野源。




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